南西フランス情報
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日本からのアクセス
日本⇔パリ経由⇔トゥールーズ又はボルドー日本⇔他のヨーロッパ都市経由⇔トゥールーズ又はボルドートゥールーズやボルドーは大きな都市なので、ヨーロッパからの国際線も多くあります。ドイツやオランダ、フィランドを経由して入国することも可能です。経由地で数日間の滞在できるようなフランス2都市周遊やヨーロッパ2都市周遊の航空券を利用すると便利です。※ 乗り換えについて日本⇔パリの航空券をご購入後、別の会社(例えばイージージェットなど)にてパリ⇔トゥールーズ行きの航空券をご予約されますと、パリで一度荷物を ピックアップしなければなりません。日本発の便に遅れが出た場合などに、国内線に乗り遅れることがあるといけないので、時間を空けることをおすすめします。格安航会社は荷物制限が厳しく、重量によって追加料金を請求される事がありますのでご注意下さい。エールフランス:http://www.airfrance.frイージージェット格安航空券:http://www.easyjet.com/en国鉄:http://www.voyages-sncf.co.ukTGV:http://www.tgv.com/en
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南西フランス内での交通
パリ発、南西フランスへの旅オーダメイドにて、パリと南西フランスを結ぶツアーも承っています。パリから南西フランスへの旅の途中に、ロワール城めぐりをすることもできますので、是非お問い合わせ下さい。パリ⇔トゥールーズ飛行機:パリCDG/ORY空港からボルドー空港まで1時間20分空港から町まで:シャトルバスで20分電車:TGVで4時間半〜5時間半トゥールーズのマタビオ駅から町まで:徒歩20分、地下鉄5分パリ⇔ボルドー飛行機:パリCDG/ORY空港からボルドー空港まで1時間10 分空港から町まで:シャトルバスで45分電車:TGVで3時間ボルドーのサン・ジャン駅から町まで:トラム5分
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①トゥールーズを中心としたミディ・ピレネー地方
フランス第4の都市トゥールーズは、国際空港があるので南西フランスを旅行する拠点として便利です。
トゥールーズとアルビには、15世紀から16世紀にかけて青色染料の元となるタイセイ(大青:パステル)の取引で繁栄した豪商の館が残ります。
さらに北へ進むと、サン・ティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路「ル・ピュイの道」の重要な宿場町として栄えた、フランスの最も美しい村コンクがあります。
西に広がるガスコーニュ地方は農業が盛んに行われ、フランスの田舎らしい風景に出会えます。
バラ色の町と称されるレンガ造りの街トゥールーズは、ヨーロッパ航空産業や医学の中心地でもあり、近代的な面も持ち合わせています。 -
②ケルシー・ドルドーニュ地方
カストル台地に先史時代の遺跡や、世界遺産ラスコー洞窟、パディラック鍾乳洞などの多くの洞窟が点在します。
ケルシー地方には断崖絶壁に張り付くように建てられた、巡礼地ロカマドールや、フランスの最も美しい村に登録されるサン・シル・ラポピーがあります。
ドルドーニュ川沿いには、百年戦争の時代に建てられた城が多く残っています。
その中でも人気なのが、リュク・ベッソン監督の映画ジャンヌ・ダルクの撮影に使われた「べナック城」です。べナック・エ・カズナックやロック・ガジャックの村をガバールと呼ばれる小さな遊覧船から望むこともできます。
美しい村めぐりの中心地となるサルラの旧市街はとても良く保存されており、土曜日には特産のトリュフ、フォアグラやクルミを扱う大きな市が立つことでも有名です。 -
③アキテーヌ地方
ボルドーやサンテミリオンにはワイナリーが点在し、名高いぶどう畑が広がります。
旧市街は近年の修繕によって、フランス人が住んでみたい街の上位にあげられるほど美しく生まれ変わりました。
大西洋岸のリゾート地、アルカションやラ・ロシェルでは牡蠣の養殖がおこなわれており、美味しい魚介類を食べることができます。
アルカション湾にはヨーロッパ最大のピラ砂丘(Dune du Pilat)があり、内陸には砂丘の広がりを抑えるために植林された100万ヘクタールにも及ぶマツ林が広がります。ボルドーからはバスク地方、ペリゴールやケルシー地方へのツアーがあります。 -
④バスク地方
大西洋岸からピレネー山脈にかけて住むバスク人は、独自の言語を話し、ヨーロッパで最も古い民族といわれます。
リューヌ山のような小高い山が続き、緑が濃いためか日本の田舎を感じさせます。
ビアリッツやサン・ジャン・ド・リュズのようなお洒落なリゾート、スペインのオンダリビアのような小さな漁村、美食の街サン・セバスチャンとバラエティ豊かです。
内陸にあるサン・ジャン・ピエ・ド・ポールは、巡礼の重要な宿場町として、1000年以上も前から栄える村です。
トゥールーズからバスク地方へ行く途中、カトリック教会の聖地ルルド、ピレネー山脈のガヴァルニー圏谷、フランスの最も美しい村サン・ベルトラン・ド・コマンジュを訪れることもできます。 -
⑤ラングドック・ルシヨン〜カタルーニャ地方
カルカソンヌからピレネー山脈の山麓には、アルビジョア十字軍を逃れるためにカタリ派の信徒が身を潜めた城跡が点在します。
フランスへ割譲されるまでカタルーニャの領土であった地域もあり、お祭りの際は闘牛が行われ、カタルーニャ国旗を見かけるなど、カタルーニャ文化が残ります。
現代アートにおいて無くてはならない存在である、マティスがコリウールで、ダリはカダケスで創作活動をし、またバルセロナのガウディー建築は世界中から観光客を集めます。
ラングドック・ルシヨン地方は、フランス最大のワインの産地としても注目されています。
以前はテーブルワインのイメージがあったこの地方のワインは、今やヴァン・ド・ペイ・ドック(又はペイ・ドック)と呼ばれる上質なワインを作り出すほどになっています。⑥プロヴァンス
ローヌ川流域に広がるカマルグの湿地帯を過ぎると、強い日差しに白い岩肌の山、そしてワイン、オリーブ、ラベンダー畑が広がります。
リュベロン地方にはコルドやルシオンなどの石造りの小さな村々が点在し、オランジュやアルルには古代ローマ帝国時代の遺跡や建造物が残ります。
エクス・アン・プロヴァンス出身のセザンヌ、スペインから移り住んだピカソが通ったカフェなど、ゆかりの地を巡るのも楽しいかもしれません。
マルセイユのとカシスの間には、カランクと呼ばれる美しいブルーの入り江多くあります。-
①ユネスコ世界遺産
南西フランスにはユネスコ世界遺産に登録される建造物が10箇所あります。※地中海に面する一部の地域も南西フランスに含まれます。プロヴァンス文化・カタルーニャ文化が密接に関係している地域もあります。ラミティエ・ボワイヤージュではプロヴァンスやスペインまで足を伸ばすツアーも行っています。1. ミディ運河17世紀につくられ、トゥールーズから地中海のセートまでを結びます。
大西洋から地中海まで物資を運ぶには、スペインとアフリカ大陸を隔てるジブラルタル海峡を通過しなければなりませんでした。スペインに払う多額の通行税、お金と時間の削減のために、国王ルイ14世のもとで進められた計画です。
ボルドーとトゥールーズを結ぶカロンヌ運河に繋がり、大西洋と地中海を結ぶ輸送ルートとして利用された運河は、19世紀になると鉄道に取って代わられましたが、今ではクルージングを楽しむ人達で賑わいます。
動力を持たない船を人や馬が引くためにつくられた小道は、水の蒸発を防ぐためにプラタナスが植えられ、散歩やサイクリングコースとして人気があります。2. アルビの司教都市アルビの街に残る中世の建造物群が対象です。13世紀に行われたアルビジョア十字軍後、カトリック司教が支配する都市となり、司教の館となるベルビ宮殿(現在トゥールーズ・ロートレック美術館として利用されている)が建てられました。カトリック教会の威光を示すべく、2世紀の年月をかけて建てられた、要塞のような外見を持つサント・セシル大聖堂は、レンガ造りの聖堂としては世界一の規模を誇ります。
その他、15世紀にもてはやされたタイセイ(青色染料)の取引で潤った豪商たちの邸宅や、旧市街のコロンバージュ(木骨組み)の民家がみどころです。
シーズンによっては馬車での散策や、タルヌ川のショートクルーズを楽しめます。3. 歴史的城塞都市カルカソンヌヨーロッパ最大規模の城塞都市、カルカソンヌの城壁はシテ(旧市街)を二重に囲み、総延長3kmにもおよびます。紀元前から続くシテは、17世紀にフランスとスペインの国境線が定められたことで、軍事的な地位を喪失します。人口は減り続けて廃れていきましたが、19世紀になると、シテの名士によりシテの復興が呼びかけられ、コンタル城はパリのノートル・ダムの修復を手がけた建築家、ヴィオレ・ル・デュクにより修復されました。城の入場券購入時にガイドツアーを予約すると、個人では入ることのできない城壁の上を歩くことができます。
フランス国内ではモン・サン・ミシェルに次ぐ年間来訪者数を誇る一大観光地です。4. ヴォーバンの防衛施設群5. ピレネー山脈のモン・ペルデュ(スペインと共同)フランスとスペインにまたがるピレネー山脈の中で、3番目に高い標高3352mのペルデュ山(スペイン語でペルディード山)が登録対象です。
フランスのピレネー国立公園には、氷河の浸食によってできた大規模な3つの圏谷(カール)、ガヴァルニー、エストーベ、トルムーズがあります。その中でもガヴァルニーの滝は422mとヨーロッパ最大の高さを誇ります。6. 月の港ボルドー17世紀半ばから港町として栄えたボルドーの歴史地区が登録対象です。
フランス革命期までの間、カリブ海の植民地で生産された砂糖、コーヒー、奴隷などを、隣国へ売る中継貿易によって繁栄しました。
それにともない、大司教や地方長官は都市改造を行い、町を優雅な装飾で飾り立てました。
多くの建造物が登録の対象となっていますが、その象徴ともいえるのが、王付き建築家アンジュ・ジャック・ガブリエルによって手がけられた、ブルス広場(当時の名称は王国広場)とブルス宮殿です。
また、パリのオペラ座のモデルになったことでも有名な大劇場では、オペラやバレーの上演が行われます。7. サン・テミリオン地域ボルドー近郊にある中世の町並みが残るサン・テミリオンと周囲に広がるブドウ畑が登録対象です。
サン・テミリオンのワインは、この地に立ち寄ったサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼者の間で評判になり、広く知られるようになりました。ボルドーワインのAOC(Appellation d'origine contrôlée:原産地統制名称)のひとつです。
個人経営のシャトーが多く、見学には予約が必要です。8. フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路スペイン北西部のガリシア州にある、サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼路の一区間と、巡礼路の途上にある主要な歴史的建造物群が登録対象になっています。サンティアゴ・デ・コンポステーラは、ローマ、エルサレムと並ぶ、キリスト教の三大聖地に数えられます。スペイン語では、El Camino de Santiago(サンティアゴの道)フランス語ではle chemin de Saint Jacques(サン・ジャックの道)と呼ばれます。巡礼路の教会では寝床を用意するようになり、周囲には宿場町がつくられるようになりました。9. ヴェゼール渓谷の先史的景観と装飾洞窟群ドルドーニュ県ヴェゼール渓谷の40kmほどの間に点在する先史時代遺跡群が登録対象です。
1万5000年前、クロマニヨン人によって描かれたラスコーの洞窟壁画やクロマニヨン洞窟とよばれる岩陰遺跡などが含まれます。
ラスコーの洞窟は観光者の吐く二酸化炭素による壁画の劣化を防ぐため、1963年以降は一般公開されていません。
隣接してある複製ラスコーⅡをガイドツアーで回ることになりますが、11年の歳月をかけて正確に再現されたレプリカは見ごたえがあります。10. コースとセヴェンヌ、地中海の農耕・牧畜の文化的景観中央高原から南にかけて、樹木の生えない石灰岩の台地が広がります。
アヴェロン、ロゼール、ガール、エローの4つの県にまたがる、3000キロ平方メートルの広大な地域が登録対象です。
三大ブルーチーズのひとつである羊のロックフォールチーズや、ヤギのロカマドールチーズの産地として有名です。
また、子牛を母牛の元で育てる、昔からの農法により、質の良い牛肉の産地としても注目を浴びています。11. オランジュのローマ劇場とその周辺及び「凱旋門」オランジュはアヴィニョンから北へ20kmのところにあるります。
保存状態のよいローマ劇場は、カエサルの後継者アウグストゥスによって1世紀に建造されました。
夏の音楽祭では、1951年に発見された3.55メートルのアウグストゥス像を背景にオペラを楽しむことができます。
リヨンとアルルを結ぶ道に建てられたという凱旋門は紀元前20年頃のものです。12. アヴィニョン歴史地区14世紀にカトリックのローマ教皇座が、アヴィニョンに移された時期(教皇のバビロン捕囚とも呼ばれる)があります。
それに伴い建造された、教皇宮殿やプチ・パレ、ノートルダム・デ・ドン大聖堂、アヴィニョン橋、一部の城壁などが登録対象です。
教皇宮殿の調度品は、フランス革命期の略奪によって散逸してしまっていますが、ヨーロッパ中世ゴシック様式建築物のなかでは最大級を誇ります。
12世紀に建造されたサン・ベネゼ橋(アヴィニョン橋)は、22連のアーチ橋でしたが、ローヌ川の氾濫により現在は4つのアーチのみが残っています。
毎年夏に1ヶ月間、アヴィニョン演劇祭の時期は演劇やバレエが行われ、町のいたるところで大道芸を楽しむことができます。13. ポン・デュ・ガール今から2000年前の古代ローマ時代、人口が増加するニームへ水を運ぶために築かれた水道橋です。
水源からニームまでの距離は50km、高低差は12,6mほど。
高さ49m、長さ275mの美しい三層のアーチ型の橋は、美しいだけでなくローマ人の知恵が結集されているといわれます。14. アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群古代ローマ時代に建てられた円形闘技場は、現在は2層のみが残っていますが、当時は3層構造で2万人を収容できたといわれます。
シーズンによっては闘牛を見ることもできます。
紀元前1世紀につくられた劇場や4世紀に作られた公衆浴場跡などがあります。15.
アントニオ・ガウディの作品群グエル邸、グエル公園、カサ・ミラ、サグラダ・ファミリア、カサ・パトリョ、コロニア・グエル教会の7箇所が登録対象です。
多くの建造物は曲線を基調に建てられています。
建てられた当時は評判が良くなかったものも少なくないようですが、今ではバルセロナには無くてはならない存在です。
サグラダ・ファミリア教会は1882年の着工からすでに100年以上が経っており、ガウディ没後100周年目の2026年に完成されるとされています。 -
②フランスの最も美しい村
南西フランスには「フランスの最も美しい村」が多くあります。フランスの最も美しい村とは?1982年質の良い遺産を多く持つ、田舎の村の観光を促進することを目的として設立された協会です。・人口が2000人を超えないこと・最低2つの遺産・遺跡があること・コミューン会議で同意が得られていることこのように厳しい選考基準をいくつも設けています。景観を破壊するような建物の設備は制限されるので, 経済発展は妨げられますが、観光面ではプラスになることが多いようです。1. コンク、ベルカステル
2. ロートレック
3. サン・ベルトラン・ド・コマンジュ
4. ラレッサングル
5. アイノア
6. ドンム、ラ・ロック・ガジャックべナック・エ・カズナックカステルノー・ラ・シャペル7. ルーブルサック、オトワールコロンジュ・ラ・ルージュ8. サン・シル・ラポピー
9. ナジャック
10. エウス
11. ラグラース
12. サン・ギエム・ル・デゼール
13.カステルノ・ドゥ・モンミラル
14. ゴルド、ルールマラン(プロヴァンス)ラベル ロゴ
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③言語
オック語(lenga d'oc又はoccitan/仏語表記:langue d'oc又はL'occitan)
ロマンス語(インド・ヨーロッパ語族)に属し、南西フランスの大西洋岸から地中海にかけて、モナコ、スペインやイタリアの一部、で話される諸言語の総称です。
それまで話されていたラテン語にかわり、市民の間だで話されるようになったオック語は教会におけるミサにも使用されるようになりました。
フランス王国によって派遣されたアルビジョワ十字軍によって南北が統一されると、ロワール以北で使われていたオイル語(lange d'oïl)が公用語となり、オック語は話し言葉として受け継がれていきます。
幾度とオック語の公用語化が進められましたが、中央集権化によって認められることはありませんでした。現在はオック語圏の学校によっては、第二外国語として選択できるようになっています。
バスク語(euskara/仏語表記:Le basque)
ヨーロッパでは珍しくロマンス語(インド・ヨーロッパ語族)に属さない言語で、約百万人ほどがバスク語に関わる生活をし(聞き取りのみなど)、そのうちの半数以上は話者といわれています。
バスク語で書かれた文書は、10世紀頃のものが発見されていますが、フランス語やスペイン語よりも古い言語だといわれています。
euskaraとは、この言語を支配する人、の意味です。
文化を守ろうとする多くの人々により受け継がれ、スペインの自治体によっては学校での義務付けをしています。
カタルーニャ語(calala:仏語表記:catalan)
ロマンス語(インド・ヨーロッパ語族)に属し、話者は約一千万人です。
バレンシア地方をはじめ、南西フランスのルシヨンやイタリアのサルデーニャ島にも話者がいるといわれています。
オック語のひとつであるラングドシャン語は、カタルーニャ語に近い言語といわれています。
スペインでは、1993年よりカスティーリャ語と共に、公式な言語として認められています。 -
④中世の城塞都市とカタリ派
中世の都市集落「バスティード:bastide」※グレーの点町の中心は教会ではなく、商業活動を行う広場であり、そこには屋根付きの市場(halle)があることが特徴のひとつです。広場に面する建物の1階部分には、美しいアーチをもつアーケードがつくられてることが あります。多くの集落 は丘の上にあり、高い城壁を持っています。そして、兵糧攻めに耐えられるよう、集落の外には農村が広がり、集落内には井戸がいくつも作られました。南西フランスに多く集まるバスティードの中で、分かりやすい例としてコルド・シュル・シエルが挙げられます。城壁が二重三重に(崩れているものもあります) 、そして門がいくつもあり、中央広場にはhalleや井戸があります。1. ナジャック2. コルド・シュル・シエル3. ロベール4. コローニュ5. メザン6.モンパジエ7.ドンムカタリ派※黄色い部分に分布10世紀半頃に現れたキリスト教色を帯びた宗派。禁欲生活を送る。キリストが人間であったとを認めない。肉食を禁止し、菜食のみを認める。一切の誓の禁止。それと関連して商業行為の禁止。上記のような特徴を持つカタリ派の起源は、カトリック教会の聖職者の汚職や、堕落に反する民衆運動であったと考えられてます。フランス王権から独立していたトゥールーズ伯や、南部の諸侯の擁護を受けて広がりをみせました。13世紀、南部の統治を願うフランス王と、カタリ派の拡大に悩む教皇庁の思惑が一致して、アルビジョア十字軍が結成されました。カタリ派への異端審判が行われ、擁護していたトゥールーズ伯が、王への服従とカトリック信仰への復帰を表明し、フランス南部がフランス王の支配下となりました。カタリ派の信徒は領主の城に身を潜めましたが、最後の砦であったモンセギュール城が堕落し、多くの信者が改宗を拒んで火刑にされたました。フルセス
カルカソンヌ
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⑤地理
1.ガロンヌ川とミディ運河
ガロンヌ川は延長647m、スペインのピレネー山脈を水源とし、南西フランスのトゥールーズを流れ、ボルドーでドルドーニュ川と合流しジロンド川となり大西洋に流れ出ます。
平野が多く、南西フランスの中でも農業が盛んさ地位です。
ミディ運河は国王ルイ14世のもとで進めら、トゥールーズから地中海のセートまでを結びます。
ボルドーとトゥールーズを結ぶカロンヌ運河に繋がり、大西洋と地中海との間を結ぶ輸送ルートとして利用されました。
2.ピレネー山脈
延長430km、フランスとスペイン国境を分けるように、地中海から大西洋にかけて広がる山脈は、ギリシャ神話の人名が語源といわれます。
3.コース
中央高原から南にかけて、樹木の生えない石灰岩(標高700~1200m)の台地が広がります。
侵食によって深い谷が刻まれ、アルビを流れるタルヌ川のもこのようにしてつくられた川のひとつです。
4.ランドの森
ヨーロッパ最大の植林されたマツ林は、内陸部に押し寄せる砂丘をせき止める、不衛生な沼地を埋め立てる、という名目上19世紀に植林が始まりました。
5.コルビエール
カルカソンヌから地中海までワイン畑続きます。
ホモ・エレクトスと呼ばれる原人の骨が発見されたことでも有名です。
6.カマルグ
湿地帯はナイル川デルタにつぐ大きさをほこり、野鳥、特にピンクのフラミンゴ多くが集まります。
国立自然公園にも指定されている地域や、牛や馬の放牧、農村地域では稲作が行われています。
7.大西洋と地中海
高級リゾート地から小さな漁村まで、バリエーションに富んだバカンスが過ごせます。ガロンヌ川
ミディ運河
ピレネー山脈
コース
ランドの森と大西洋
田園風景
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